AMENOMANI2の歌詞世界に見る“愛別離苦”への救済と同苦。

仏教の教えでは、人が生きる中で誰もが感じる苦しみが八つあるという。その中のひとつが“愛別離苦”であり “愛する人と別れて離れ離れになる苦しみ” という意味だ。

夫婦や親子、恋人同士、かけがえのない間柄であっても、必ず別れの日がやって来る。

お互い生きてさえいれば、いつかどこかで会えるかもしれないが、何よりも耐え難い苦しみは、死における今生での別れだ。知人や著名人の死でさえ悲しみに打ちひしがれるというのに、ましてや大切な家族の死ほど、耐え難い悲しみ、苦しみは存在しない。

突然の事故で家族を失った人の悲しみに対しては、どのような言葉も無力ではないだろうか。

また、後に残された人は「あの時、こうしていれば、あの時、この言葉をかけていれば」という自責の念に囚われてしまう事もあるかもしれない。当然、最も尊ぶべきは、失われてしまった命への畏敬の念と感謝の想いであるのだが、残された者の喪失感や、自己肯定感へのケアも大切だと思う。

それぞれの状況は異なり、部外者からの言葉で、残された者の苦しく頑なな心を癒すことは容易ではないだろう。唯一慰めになるとしたら、同じような経験をした人の想いや、その人の歩んだ過程に共感を寄せる事で、時間はかかれども前を向けるようになるのかもしれない。

・・・そんな事を、つらつらと考えるようになったのは、AMENOMANI2を聴くようになってからだ。

ボーカル・ピアノ・作詞・作曲を手掛けるイトウナホを中心に、2020年に都内のライブハウスで活動を始めたロックバンド。イトウナホの描く歌詞の世界には、大きな喪失を埋めてくれるようなセンテンスが溢れている。

「ループ」

君がもしも記憶の奥で
消せない理不尽と対峙して
諦めようもんならきっと僕は
手を差し伸べてしまうだろう
この手を解いて楽になろうが
また命は廻り続けていくから
どうか君の世界は美しいままであれ

“消せない理不尽と対峙して諦めてしまう”
というのは、希望を失って前向きに生きる事を諦めてしまうという意味と感じる。
それに対して、
“手を差し伸べてしまう”
と歌われているが、その手を取るのも、解いて取らないのも自由だから、
例え生まれ変わったとしても、
“どうか君の世界は美しいままであれ”
との願いを歌っている。

生きる事に絶望をしてしまった相手に対して、何か手を差し伸べる事をしたい。
それが無力だったとしても命はこれで終わりではなく、永遠に続いていくのだから、来世においても美しい世界に生きて下さい。との願いが込められている。

これは他者への救いが、そのまま自己への救済に繋がるという仏教の教えにも共鳴している。

しかし、“救済”という言葉の持つ危うい側面についても、言及した歌詞が多いのもAMENOMANI2の特徴だ。

「傘」

悪いけどさ
どう頑張っても
君の本当の悲しみは分かれないよ
怖いんだ
この僕が
たった一行で
片づけてしまうようで
何も何も言えない
言えないんだ

“君の本当の悲しみ” は他人になんか、どうしたって解りようがない。
それをさも悟り顔で、上辺だけの言葉で、片づけてしまいそうな自分もいる。
その怖さを知っているから何も言えない。

押しつけがましい正義。
恩着せがましい励まし。
そんな言葉に、疲れ切った人々にとっては、控えめな眼差しが、心地よいと感じるのではないだろうか。

「分かっていたこと」

子どもの頃から
無駄に大きな正義感だけ持っていた
みたい
救ったり救われたりすることなんかなくて
仇となることばかりだった


“大きな正義感“ が、仇になる事はわかっている。
その正義感に、自分が救われた事もなければ、誰かを救ったという実感もない。

ただ、それでも人間は、救いをどこかで求めてしまう生き物だし、
誰かを救いたいと願っている生き物でもある。

AMENOMANI2に歌詞には、救済というテーマが散りばめられており、
彼らの世界観の大きな要因にもなっている。
(勿論その世界観をエモーショナルなサウンドに磨き上げる、巧なバンドアンサンブルも特筆されるべきだ)

この“救済”という行為は、苦しみや絶望の淵に沈んだ人にとっては諸刃の剣となる事もあり、軽々に出来る事ではないが、ソングライターのイトウナホ自身が、過去に大きな喪失を経験しているからこそ、心の中から自然と生み出される感情が、癒しや赦しとなって聴く者の心にストレートに届くのではないだろうか。

「good bye」

さよなら
あなたの中で生きたがる私
孤独よ
誰のモノでもない僅かな人生
そろそろ新しい靴を鳴らすわ
私もう
もう行かなくちゃ

人は人の中に囚われてしまう。
誰かの中で生きようとしてしまう。
その大切な人が、居なくなってしまったら、
自分はどのようにして生きていけばよいのだろうか?

自分の人生を主体的に、前向きに生きる事こそが故人への弔いになる。
それを頭で理解していたとしても、心でかみ砕いて、新しい靴をはいて出かける気分にはなれないだろう。

だからこそ自分のタイミングで、自分自身の中で、
その踏ん切りをつける事が大事なのかもしれない。



連日、ニュースで放送される自然災害や、戦争、痛ましい事故。
毎日、至る所で人々が亡くなっている。
その陰で、突然の別れの苦しみに、わが身が引き裂かれる思いをしている人が多く存在している。

AMENOMANI2のサウンドや、イトウナホの歌詞世界は、そのような人々にそっと寄り添うことが出来る楽曲だと感じている。

それは、
全く無意味なのかもしれないし、
ただのお節介なのかもしれない。
ひょっとしたら、残された者の心の救済の一助になるのかもしれない。

仏道修行の精神において “同苦” という言葉がある。
“救いたい相手がいるのなら、同じ苦しみを経験しなさい”
という教えである。

押しつけがましくない、ささやかな、同苦の想いを、
AMENOMANI2やイトウナホの歌世界に見出す事が出来れば嬉しい。

多くの人々にAMENOMANI2が聴かれ、今後も活躍する事を祈ってーー。

2023.7.12
Varuba

AMENOMANI2
@amenomani2
https://amenomani2.jimdosite.com/
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